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  おもろい話  

自分を信ずる

人間って 強く思った方向へ行くんです

考古学の研究によりますと
すべては 願った方向へ進化してきたのです

又 最新の化学 量子論によりますと
人間の 意思の力は 想像しているより
はるかに大きい  と言う事が分かりました

又 強く 信ずる事は 凄い事なのです
夢を信ずる
信は知恵に代わり 知識を汲み上げ 行動の移ります 
    分からなかった事が 分かるようになります
夢を信じない不信は 行動を止め 
    簡単な事が分からなくなります

現実はどうでも 自分を信じる

夢や希望は人生の宝です
 夢や希望に生き抜く人は堕落はない惰性もありません
成長・充実・向学・創造・連帯があります
そして信のある人は寛容が生まれます

自分を信ずる  
何の裏付けもなくても 弱い自分だけども
ハッタリでも みせかけでもOK
私はすごいんだ 大したもんだ と思うこ事 大事です
そのうち 本物になる 

信は  結合 善 勇気 幸福 平和 不可能を可能にします
不信は 分断 悪 臆病 不幸 戦争 可能を不可能にします

最初に 何になりたいのか
何でありたいのか 明確に決めよ
そうすれば他は 天より授けられるであろう
16世紀のフランスの文人ラブレー

戦いは 勝つと固く決意したほうが勝つ
トルストイ 戦争と平和


信の影響

人は何故 善人と悪人に分かれるのか
そこには 信がおおきくかかわっているのです

人の性格は千差万別です 
では いつ どのようにして 
その人の性格が作られていったのか

不思議なもので 
同じ親から 同じ環境の家庭に育つ兄弟は
同じような性格を有している場合が多い事は確かですが
 性格が正反対の兄弟が現れる場合も 
かなり多いように見えます

 幼少期に作られた性格は 考える方向性(癖)は
一生変わりません
もちろん 教育によって人間的にも大きくなり 
人格も磨かれるでしょう
 しかし その人の本質は簡単に変わらないのです
それも 年齢を重ねれば重ねる程 変わりません

 若いうちの過ちは本人力で治る事が多いですが 
中年以降の過ちは殆ど治りません
繰り返し 過ちを犯すのです

 人間の思考の基本は「幼小期にすでに完成されていた」
と思えるのです
 小学生の時の友人の性格は 熟年になっても 
高齢になっても その基本は変わらないのです

様々な歴史書からお分かりのように 
悪人は最後まで悪人で 善人は最後まで善人なのです
「例外は無い」と 言える程です
人現の性格及び考えの方向性は 
「幼少期に決定さえれる」と結論したいのです

 専門家の幼児教育のポイントとか
大脳新皮質の開発とか 全脳型社会への転回とか とか 
論理的には納得できますが
人格や正義や寛容の心を育てるのに 
更に深い所での影響が働いている
と思われるのです 

多くを見てきた者の意見を聞いてもらいたいのです 
両親の姿や、家庭や 社会環境が、子供の性格や生き方を
大きく左右される事は承知の事実です

 ここで悪とは何処から湧くのかを考えて見る事にします 
 自分及び 自分の仲間一族のために 他人を苦しめる行為
(法律を犯さなくても)です 
難しく言うと、人間にとって否定的と評価される
対象、行為、事態です
一応 時代 地域によって変化する事も承知の上で

先に結論を言います
 学校でも 家庭でも 子供に教える事で一番大切な事は
・・「信」だと思います 
 二番でもなく 三番でもなく 一番なのです
悪人は これを学べなかったのです

 悪の本質は無知です 無知から分断へと進むのです。
分からない と言う事が最大の理由です
他人の苦しみが分からないのです

国法を犯せば 犯罪である事ぐらい分かっても
国法を守る事が どれ程大切なのか分からないのです
国法を犯せばどうなるか分かっていても
分からなくなるのです

すなわち 分かり方が浅いのです 
 信が弱く 行動も信に基づく行動でなく
人間以外の畜生の愚かさが見えます
結果を見て学ぶ事も浅かったのです

 親からも 学校でも 悪い事をするな、
他人に迷惑をかけるな「 ああしろ こうしろ」と、
色々教わったはずです
悪い事をしたり いたずらをしたりして 注意されたり 
怒られたりして 少しずつ学習したのです

 なぜ 特定の一部の人のみが 分からなかったのか 
学習できなかったのか
 その原因に 希望が無い 想像力の欠如 
自分を知らない 無関心 無責任等がありますが 
最大の原因は 無知と愚かです 
その本質は「不信」と結論したいのです

 すなわち 無知は 不信から始まるのです
言われた事を 命の表面で覚え 
命の深層部には入らなかった と言うことです

 信を学ぶ機会が無かったのです
周りに信頼する人 信用できる人が少なかったのです
裏切りに合い 命に深いキズを負った可能性があります
 そのキズを癒すのは 
仰ぎ見る人 信頼できる人の存在ですが 
出会う事がなかったのでしょう

 子供を騙(だま)す行為は 
命に計り知れない悪影響を及ぼします
 家庭不和が子供に悪影響を及ぼす事は承知の事実です
いかに貧しくても 真面目に生きる信ずる両親がいれば 
仲の良い明るい家庭があれば 絶対に悪人は出ません
 
 子供は 先生を信頼すれば 勉学は進みます
その事から 親にとって 気に入らない先生でも 
子供の前では
「お前の担任は とても良い先生だ」
と言い聞かせる事は非常に大事だと思います
 
 信は 分からなかった事が 分かるようになる
 疑いは 簡単な事でも分からないのです
 初めに信じる 次に演じる そして学ぶのです
 
聞かされたり 読んだりして学ぶのは 
意識の表面での学習です
その量に違いはありますが 生きるための知識なら 
そんなに大きな差はないと思います
どんなに知識を蓄えても 
生かすためには実践しなければ 意味がありません


その実践 行動は信からはじまるのです 
信は知恵に変わり 行動に移ります
行動して学んだものは命に刻まれるのです 
意識の表面での学習ではなく 
生命の深層に焼き付くのです
 (指を切ったら痛いよ)と教わるより 
自分で指を切った時の痛みの方が よくわかるのです

 私達も、複雑で迷路に迷い込んだ時は 
演繹的 に考えるべきですが
これには 信が 絶対条件です
 人は信じて行ずるの反復、体積なのです
 壁にぶつかった時 分からないが 信じて行動を起こすのです
先に学ぶのではありません わからなくてもいいのです
 信は知恵を呼び起こします 今までの知識が生かされるのです
信じて行動すれば 更に学べるのです

 不信はその行動を止めます だから学べないのです
 そして、その不信から分断が始まるのです
分断とは 家族 知人 友人 社会 との間を断ち切る事です
 分断は人を孤立させます 閉じた心は 自分を狭い殻に閉じ込めて 
一人で「良し」として更に自分と他人の間を分断するのです
更に みずから学んだ知識も経験も分断してしまうのです  

 分断は 国と国 民族と民族 人間と自然 等でも同じで、悪です
戦争は この不信から分断へと進み始まるのです 
企業 団体 家庭 すべてに通じます
 当然 その逆であ結合の本質は善です。団結です 
当然そこには信頼があり平和がありそして希望があります
もちろん 何の元に団結するかの 高低浅深はありますが

 信のある人は希望があります
希望は人生の宝です
 希望に生き抜く人は堕落はない惰性もありません
成長・充実・向学・創造・連帯があります
そして信のある人は寛容が生まれます

寛容とは、個人が進んで他者の尊厳を擁護しようとする心である。
寛容は、人間の尊厳に対して義務をもつ価値観としてあらわれる。
寛容は、他者を理解し、他者の異なるあり方を尊重する能力を必要とする。
寛容は、安定した立脚点を前提とする。
寛容は、どのような文化的環境の人にとっても保護・尊厳・自由に役立つものである。
寛容を保障し、さらに発展させることは、教育の核心的要素であり一般的義務である
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