山で 「勇気ある撤退」なんてありません 「塵も積もれば山となる」嘘です
年数回 山に行くが 冬もね
途中で撤退する事が多くなりました 悪天候でなくてもね
年のせいか 日ごろの怠けた生活のせいか
しかし 途中で撤退するのに勇気などいらないのです
『怖いから 自信がないから』 なのです
あんな所で 勇気があったら 命がいくつあっても足らないのです
山では勇気などいらないのです
勇気ある撤退などと言う事は 本当にあるのでしょうか
怖いから撤退と言うのが正しいのではないですか
格好付ける登山家の かたたた
うそはまだあります
『塵も積もれば山となる』 と言うことわざがありますが
この日本に 塵が積もって出来た山など一つも無いのです
大きな地殻変動や 火山の爆発等で出来たのが山です
山の上から見て見なさい
(小さな事の積み重ねが 大きな事になる)
との例えでしょうが 山を例えに出してはいけないと思います
山を例えるならば 劇的な変化が必要な場合にしてもらいた
又 『七転び八起き』 と言うことわざは下界の話で
高い山で七回も転んでは遭難します。通用しませんよ
意味が違うと言われそうですが
又 それを言うなら 若い人にね
時間的余裕のない御年配の親父など 2~3回転んだら
起き上がるまでに 100歳になります
又 学習しないやつの たとえかも
失敗は成功の元 なんて言葉も やり直しが出来るのは若いうちだよ
親父位の年になると、頭が硬くて、失敗しても、反省しない人が多いので
結局、成功しないで終わる人の方が多いかも
いい加減な ことわざ まだあります
(火のないところ所の煙は立たない)
これは間違いです 要注意です 騙されてはいけません
火のない所に 煙を出す人が沢山います
平気で嘘を言う人 他人をおとし入れるために デマを流す人
自分を良くみせるためにオーバーに話す人
おもしろくするため デッチアゲの演技をする人
お涙ちょうだいの話は 感動しますから
実際は 役者のお得意の演技だったり 視聴者は直ぐだまされます
特にマスメディアの被害者は多いです
有名な池上明・の質問に 悪意と偏見を感じました
まあ 国会での野党の質問にも 当てはまる場合が多いですが
例の(戦争法案)等と言っているやからです
(戦争法案)等と言う法案はないのですから
一度 悪いイメージを抱かれると
そのイメージを払拭する事は不可能に近いのです
真実を見抜く 透徹した眼は 自らを磨いてこそ得られるのです
嘘を言う人の その言葉と行動の源(みなもと)が見えます
自らを磨くとは ・・・
ダイヤモンドはダイヤミンドで磨くのです
汚れた雑巾で鏡を磨くと 鏡は更に汚れてしまいます
ダイヤモンドは何か 純白な雑巾は何か が解らなければ無駄ですが
いつか ダイヤモンドの話 純白な雑巾の話をします
何故 山に行くの ???
スキーヤー……「あいつら そんな山登って 何が面白いの?」
山男……「あいつら 板で すべっているだけで 何が面白いの?」
スキーヤー……「山の上に何もないでしょう 登ったら降りてくるだけでしょう」
山男は……「あいつら 下に降りたら、金払ってリフトで又登るんだよ 無駄」
スキーヤーと山男……「分かんねー?」
登山は、あえて「困難に挑もう」とする文明人の行為であり、
「不可能を征服すること」(フランスの登山家ヤニック・セニュールの言葉)である。
いわゆる原始人は、「狩り」はしても「登山」はしない。言い換えるなら、
登山は自己の限界と可能性を探る探検と言えるのでは
スキーヤーに 何か言われそう
それぞれの人が色々の魅力を感ずるが
都会育ちの親父は やはり自然の美しさが一番かな
若い時は 荒々しい岩山に魅力を感じた
北岳を日帰りで行った時は 登るだけが目的だった
今は 岩と木と草と生き物達の魅力を探しながらの登山だ
特に もののけ姫が出てくるような深い森に魅力を感ずる
日本中 何処にでもあるけどね
ヒラリーがエベレスト初登頂に成功した原因は
色々ありますが
万全の準備 先入観を捨てた 隊員の中が良かった
そして何より執念だ
成功する人は これ 下界でも同じですよね
更に
大儀→徹底→目標→ 作戦→行動→分析→反省
敏速な行動、的確な処置、迅速にして果敢な挑戦
正確な情報を 迅速に手に入れ 入念に検討し
的確に素早く手打つ
その繰り返しが 成功の秘訣だとある人に聞きました
逆に 恐ろしいのは 不正確 不明瞭な情報による
あいまいな処理だそうです
囲碁は361の目から成る、基盤の世界にも絶対に
見逃せない急所がある。
同様に世の中、万般においても、物事の急所を鋭く把握し、
そのホシに対し的確に手を打つ事が成功のポイントになるそうです
が なかなかできない
時代の流れとともに人の心は変わってきます。
時代を先取りするとは、人々の欲求を鋭敏に感じ取り、
社会の変化に対応し 時の勢いをうまく捕らえ、
リズムに乗る事です
それには、自らが常に成長していなくてはなりません、、
教養 品格 良識 卓越した表現力、等です
それによって、自らの殻(先入観)を破り続ける事ができるのです。
が なかなかできない
先入観を破る事は本当にむずかしい 先入観を植えつける事は簡単なのに
いわゆる「マインドコントロール」とか言うやつですね
親父の寝言 2 勇気について
たしかに山では勇気など必要ないが 下界では必要だと思うよ
いや、絶対に必要だ。
しかし難しいしのは、いざと言う時に出ないのであります。
あの時、もう少し勇気があれば、人生が変っていたかも。
親父は後悔しきりです
親父のような後悔をしないように、お話しておきます。
スポーツでも 芸術でも 何でも、いざと言う時
力を出せる人 結果を出せる人とは、日ごろから 練習をしている人です
野球でも「ここで一本打てば、逆転さよならだ、おれはヒーローになれる」。
と、言っても、日ごろ、練習していなければ、打てるわけありません。
実は、勇気も同なのです 日頃から 軽く練習しておけばいいのです
小さな勇気を何回も繰り返していればいいのです 難しい事ではないのす
ファウストの冒頭に(はじめにに行為ありき)とあります
一歩前に踏み出す事を、心がけていればいいのです。
怖がらないのが勇気ではありません。
震えながらでも 一歩前に出る事が勇気です
その繰り返しが勇気の訓練になるのです、
使えば使う程、鍛えられていくのです
行動してしまえば、意外と考えていたより簡単なのです。
分からなかった事が 分かるようになるのです
それは勇気から知恵が涌くからです。
その訓練によって いざと言う時 思いもよらない
本当の大きな勇気を出す事ができるのです。
又 勇気とは 本来 外に向けられるものではありません
弱い自分
苦労を回避しようとする自分
新しい挑戦に 尻込みしてしまう自分
いやな事があると 他人のせいにして 人を恨んでしまう自分
等々 自分の殻を打ち破る心なのです
以下 余計な事ですが
車の教習所の教官をしていた親父が
(臆病と言われるくらいの運転をしろ) と 言ってた うるさかった
若いころ 勇気をはき違えて よく失敗した
よく言う 若気の足り とか言うやつです 明らかに勇気でなく無謀だったのです
又 他人に無謀とか臆病とか言われながら 成功した人を大勢見ています
セザンヌ(画家)は「救いようの無い落伍者」と言われていました
しかし彼は「目的に到達するまでには、勇気が必要なのです」
「私は毎日進歩しています」と言い、ついに大成しました
臆病 勇気 無謀
時に臆病に見られ 時に無謀にみられるのが 正しいのであれば
それは勇気であると言えるのではないでしょうか
ガンジーは言った。
「革命はカタツムリのスピードで進む」と
真の勇者は、臆病なくらい細かいことに気を配っていくのです
アリアス大統領は
「人間は夢を一生懸命見続けていると それが実現する時がやって来るのです」と
そして彼のように 必ず行動と一体なのです
勇気は数少ない絶対言葉で 反対語が無いのでは??
勇気の右側に臆病があり、左側に無謀があるのでは??
無謀 … 勇気 … 臆病
すなわち 臆病の反対は無謀と言えます
勇気とは、右でもない、左でもない、真ん中なのです
正しい事をするのは勇気です、それを正義と言うのです
暴力は、勇気に見えるが、無謀であり、臆病だからです
臆病な人、無謀な人は残酷です。勇気の人は優しいのです、忍耐強いからです。
忍耐を夜にたとえればで 必ず朝がくるのです
忍耐の別名を勇気と言うのです
愛情、慈愛の別名を勇気と言うのです
愛が慈愛があるか無いかは 勇気の行動でしか現れないのです
勇気の人には未来があるのです
勇気は日ごろ 見えないのです
勇気の人は楽観主義です
挫折に直面したと時
悲観的な人は この状況が 永遠に続くと感じ
何をやっても うまくいくはずが無いと思います
楽観的な人は 困難は一時的なもので 行動によって変えられる
と思うのです 何でも前向きです 楽しんで いい方向へ自分をとらえ
「そうなって見せる」と 決めています
喜劇王チャップリンの様に 何があっても笑い飛ばし
苦労を楽しみに変える事ができるのです
「楽観主義とは ものごとを達成へと導く信念です。
希望なくしては何事も成就することはできません」
と ヘレンケラーは言っています
勇気とは 正しい見識と知識と知恵を持ち そして時に冷静さも
時に果敢な行動力も持ち合わせているのです。
すなわち 人間が目指すべき究極の道なのではないでしょうか
勇気は 大変な時、迷った時、負けそうになった時に姿を現すのです
大変な時、迷った時、
道を求めれば歓喜が沸く 希望を求めれば歓喜が沸く 行動を起せば歓喜が沸く
歓喜は 勇気を呼び覚ます力だからです
歓喜について 後日 改めて
山の話に戻そう
石川啄木は詠んだ。「汽車の窓/はるかに北にふるさとの山見え来れば/襟を正すも」。
彼は、自身を鍛え育てた故郷の山は、身を引き締める大きな存在だった
高村光太郎は「岩手山の肩」という詩に力強く歌った。
「岩手山があるかぎり、南部人種は腐れない。
正しく人生を創るには、心に仰ぎ見る泰然たる山が必要である
仰ぎ見る人間的に大きな人が必要であると思います。
尊敬する恩師 師匠 又 歴史に出てくる人物でも良いのでは
青い空と緑の大地の話をしよう
この世には絶対と言える2つの法則があります
一つは 原因と結果 (因果)
もう一つは 生きると死ぬ (生死)
いかなる科学者も思想家も いかなる財閥も権力者も
聖人君子も この2つの法則に逆らう事はできないのです